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新英語教育研究会神奈川支部HP

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ルター、学校へ行く(男子高編その11~22)

11/19/04 ルター、学校へ行く(私立男子高編その11):動詞の活用(conjugation)の巻
 高1の2クラスで不規則動詞の発音をした。
 1クラスでは大好評。「We won the game. のwonって、ワンなの!」「She saysって、シー セッズって言うの?」と、各々が反応していた。
 もう1クラスでは不評(信頼関係が築けていないとつらいな~)。
 さて、そのやり方は『Ready Set Go! Grade-up』(三友社出版)表紙見返しに載せた不規則動詞変化表を使って、みんなが間違えやすいものを注意しながら行います。注意点は「間違った発音を言わない」こと。「え~、●●って言わないの?」と生徒が発音したら「シーッ!」と制止します。「合っている音を自分で発音して耳に入れることが大切だよ」と話します。

●ABC(-ew)型で:余計な音を入れない(「リュー」にならないように)
drew:「ドゥルー」
grew:「グルー」
flew:「フルー」
blew:「ブルー」
●母音をローマ字読み
risen:「リズン」
driven:「ドリヴン」

11/28/04 ルター、学校へ行く(私立男子高編その12):「アランの言う『品格』とは何か」+「男の顔は履歴書だ」+「品のない司会者」
 高1、高3のクラスでオリビア・ニュートンジョン「そよ風の誘惑」Have You Never Been Mellow(Olivia Newton-John)を扱った。
 私はこの歌を扱うときには「幸福の青い鳥はどこに?」と題して、三木清『人生論ノート』(新潮文庫)とアラン『幸福論』の抜粋をプリントに載せている。
● アランの考える幸福と品格:
Grace[グラース/品(英語のgrace)]いうことばは、実に様々な意味を持っているが、理由のない幸福、泉から湧き出るように存在そのものから湧き出る幸福と言ってもよい。Bonne grace[ボンヌ・グラース/優雅(英語のgood grace)]といえば、グラースに加えてもう少し注意力と意志とが働いている場合を言うのだ。これは青年の豊かさではもう間に合わなくなった時にあらわれる。(アラン『幸福論』社会思想社教養文庫p.270)           

 高1のみなさんには、若いときは勢いでいいけれど、アランの言うように、年を取って品格がないと情けないもんだ、品のある人になってほしい、と語った。そして「男の顔は履歴書」だがら10代は勉強、20代は仕事の基礎をつくり、30代になったら自分の顔ができてくるから、顔に責任を持たねばならない。イチロー選手がいい例である、昔は子どものような顔だったが、今はしっかりした顔になっていると、話した。すると生徒は「男の顔は履歴書」というのは初めて聞いたと言う。それを聞いて、大人として若いみんなに世間話もどんどんしないとな~と感じたのだった。
 
● アランの言葉にそえている私のコメント:
 悲しいことは心に秘めて一人で抑圧していればいい、という意味ではない。適度に話すことは心理学上もよい。アランが言いたいのは、悲しさを延々と語ったり、不用意に語った一言が無駄な悲しみを生む場合があるということなのだ。「なんでもあり」という言葉が流行している現在の日本では、何を言っても許されると勘違いしている輩が多すぎる。悲しみを増幅させるような心ない質問をする、品[グラース]のないワイドショーのレポーターをアランは憎むのだ。

◎ 今朝のTBS「サンデーモーニング」を見ていたら、先週起こった2つの親族殺人について取り上げていた。NEET(教育にも職業にも訓練にも就いていない人)と事件を関連づけていた。そして最後に司会の関口宏がコメントしていたが、そのコメントこそがまさに「不用意なひと言」であり、人々を傷つけるものだった。「品がない」とは彼のことである。
12/2/04 ルター、学校へ行く(私立男子高編その13):高3のみなさんへの読書案内
 28日は高3の授業が最終日(テスト後に1日、テスト返却日がある)。
そこで恒例の(?)読書案内を行った。左のページに「会報担当の読書案内」として載せますので、ご覧下さい。
 2名ほどの生徒と「ゲーデルの不完全性定理」→「メタ言語」→「地に足がつかない人間が増えていること」[例 『罪と罰』のラスコーリニコフ]などなど、私が得意とする話題で話しきった。さて、伝わったかなぁ?

12/10/04 ルター、学校へ行く(私立男子高編その14):今日はディベート
 今日は思わぬ展開でディベートになり、充実した授業になった。

 期末テストが終了して、答案を返却。その後に高1の授業が4回あった。年明けにあるセンター試験模試に向けたプリントをこなしていたが、3回目になって「今日はディベートしようよ」とNくんが言い出した。みんなのやる気を大切にしたいと思ったので「What is the theme?」と板書した。そこで「かわいい女の子ときれいな女の子とどちらがいい?(Which do you like better, pretty girls or beautiful girls?)」をテーマにしようということになった。黒板を前にして22名なので素早く2チームに分かれて議論がスタートした。日本語を使ったら「ペナルティ!」(英語らしくアクセントは「ペ」に置く)と言われて黒板に「正」の字でカウントされるというルールにした。
 I like pretty girls becauseノ
 I like beautiful girls because ノ
 と黒板の左右に板書し、それぞれの主張を書き入れた、

 実際にやってみてよくわかったのは「I donユt like pretty girls because she is ぶりっこ」のように発話した生徒のほとんどが単数形で言おうとすることだった。
「ぶりっ子だから嫌い」という意見を言ったので
 They behave as if they donユt know anything about men.と板書した。
 2~3の発言が終わると言いたいことがなくなってしまった。
 するとpretty girlsが好きだというTくんが「萌え」と発言、そこから場が紛糾した。
最初は人数が半々だったのに pretty girlsを好きだという人が一気に4人に減ったのだ。その4人がいわゆるアニメオタクで(と言っても根暗ではなく活発な人達なのだが)
ヴァーチャル世界の女の子が好きだと言うことが徐々に判明した。
そこで「アニメオタクvs.普通の人々」の討論会に転じたのだった。
 アニメオタク(?)のMくんは「秋葉原は僕の庭」だと言い、英語でWhen an Korean actor came to Japan, he went to Akihabara. Akihabara is a very famous place in Japan.と発言。この韓国俳優とはパク・ヨンハだそうだ。
 「普通の人々」からは
 ヴァーチャル少女好きのTくんが「萌え」と言ったので私は英語で説明するように求めた。
 ディベートの残り10分は日本語タイムにして、「萌え」についての解説をしてもらったが、教育テレビの登場人物の名前という説やネット上での書き間違いが広まったという説があるという。
 授業の終わりには「どうしてヴァーチャルの女の子が好きになったんだ?」という質問が出て、4人のそれぞれが語った(その手のDVDを見た副産物としては難しい漢字が読めるようになって現代国語の成績が上がったとか…)。それぞれが真剣に話し、それぞれが真剣に聞いた。英語の時間をつかって、クラスの中で生徒同士がふだん訊けなかったことが訊けたということ。それがいちばんの成果だった。

12/14/04 ルター、学校へ行く(私立男子高編その15):今日は「愛の授業」
 学校に勤めている時期が少ないルターはその少ないチャンスを生かして必ず使う教材がある。それはスヌーピーのLove is walking hand in hand.という絵本を使ったアンケートである。
 質問1「この絵本の中で気に入ったもの+コメント・理由」
 質問2「あなたの考えるLove is ~を書いてください」
 と板書して、B6版に切った藁半紙に書いてもらう。後日集計したアンケートをみんなでshareするというものだ。この教材で「女子校」「共学校」そして今回の「男子校」と行った。それぞれ思い出深い結果が集まった。
 10年前に勤務した「女子校」ではテストに自由英作文として配点3点で出題した。私の予想では「Love is blind.」とか「Love is walking hand in hand.」とか、簡単な解答を書いて3点を取るだろうと考えながら採点したところ、なんと予想に反してLove is that節で長々と書いている人が案外いたのだった。それくらいみんなにとってのLove is ~は真剣な問題だったのだとこちらが気づかされたのだった。
 昨年の「共学校」ではアンケート形式にしたが、やはり考えさせられる結果が集まった。みんなの心にあるloveに触れられたことはうれしいことだった。
 そして今回の高1の44名のLove is ~も意外な結果が集まった。その日も授業をななめに聞いている生徒が多くて、みんな提出してくれるのかな、と心配したが、真剣に受け止めて書いてくれた。心に響いたのは「好きということは相手のプラスを受け入れること。愛するということは相手のマイナスを受け入れること。」という愛の対比説明。
また机間巡視していたら「Love is a mirage.」と書いていたのを見つけたので「日本語でコメントしてみて」と注文したら、「Love is a mirage. 決して実像化することのできないもの。」と書いてくれたので、やはりコメントをつけてもらうことで意味がはっきりしたと感じた。彼のイメージが伝わってきた。
 そして授業を休みがちで机に伏していることの多い生徒が書いてくれたのは「愛については時間を気にせずに話し合いたい。愛をマジメに考えないのもその人の愛に対する答えだが、自分は死ぬまでロマンティストでありたい。」ということばだった。こんな思いが彼の中にあったと気づかせてくれたこの教材に感謝している。


■スヌーピーのLove is ~の「お気に入りはどれ?」+選んだ理由やコメント
●サリーとライナスのほのぼのした愛
Love is walking hand-in-hand.
・こういうのって、素敵ですよね!
・ずっとそばにいたいしね。
・なんとなくいい。
・これから始まる友情、恋を感じる。奥が深いなあと思った。

Love is walking in the rain together.
・ロマンティックかなー?と。
・学校ではありえない光景だ。こういうのは夢だなぁ…。
Love is a letter on pink stationery.
・(コメントなし)
・なぜこれを選んだか…そこに理由[わけ]なんてない。

Love is having a special song.
・雰囲気がよさそう。

Love is sharing your popcorn.
・とってもいいと思った。

●スヌーピーとチャーリーの友愛
Love is buying somebody a present with your own money.
・ 自分で稼いだお金で人にプレゼントを買うとはカッコいいな…。

Love is visiting a sick friend.
・ こういうものもあるでしょう。
・ 前にしてもらってうれしかったから。
・ 励まされるから。
・ 絵が気に入った。

●ルーシーからシュローダーへのちょっぴりおっせかいな愛
Love is not nagging.
・言わずともわかるとか。

●ライナスの愛
Love is tickling.
・It is friendly.
・コミュニケーションをとれるから。

Love is hating to say good-bye.
・「さよなら」を言えたのはよかったと思います。

Love is a flag.
・シンプルだから。
・素晴らしいから。つねに何かによって流転すると思うから。
・旗が好き(大好き)であるという独創的な考えに共感した。

●チャーリー・ブラウンの片思い
Love is being happy just knowing that she is happy... but it isnユt easy.
・片想いの真髄であろうものであるから。しかし、相手の幸せだけを願い、自分の幸せをあえて追求しないのは極めて難しい。
人類愛 Love is the whole world.
・個人としての正義とはまさしくこれだから。
・人間皆平等。
・(コメントなし)2名

■みんなの考えるLove is...+コメント[下線部は加筆訂正]
 「愛とはわからない」っていう答えもありました。でも、言葉で定義するのもいいものですね。
●具体的な愛
・Love is Aya Ueto.  ぼくにとっての愛というのは…、やっぱり上戸彩しかないです。キモいかもしれないけど、自分にウソはつけないから。ずっと、ずっと…。

●抽象的な愛
・ Love is time.  時間は大事だから…。
・Love is money.
・Love is a mirage.  決して実像化することのできないもの。
・Love is a flame.  旗と同じく風によって形が変わるから。

●愛の行い
・ Love is donating money. 自分自身のためにお金を使うのではなく、たまには他人のためにお金を使うべきだと思います。
・Love is eating with your family. 良い感じだったと思う。
・ Love is singing a song. 意味不明ですね…。
・ Love is watching a movie together. 楽しそうだから。

●愛の状況
・Love is thinking of her (and money!)  
・Love is being together.  それが一番だから。
・ Love is not nagging, but knowing each other. (愛とはゴチャゴチャ言わず、お互いを知っていること)  コメント:こういうこと?

●対比説明
・Probably passion is keeping seeking. Love is keeping giving,
おそらく求め続けていくものが恋、与え続けていくものが愛。
・好きということは相手のプラスを受け入れること。愛するということは相手のマイナスを受け入れること。

●愛の感覚
・Love is a spark. しびれる
・Love is 'body'. 筋肉つけたいから。
・Love is feeling. なんだかそんな感じ。

●愛の条件
・ Love is reliance. 信頼がなければLoveはないと思う。
・深い信頼である(コメント:そういうものでしょう)
・Love is not the one you canユt buy with money. [お金では買えないもの]
まぁとうぜんでしょ!!

●楽しい愛
・Love is good time. 楽しいものなんじゃないですか。
・Love is OK. 愛はOKだから。

●愛を警戒する
・愛は病気です。
・Love is foolish. コメント:字の通り…。アヒャ!!
・Love is very difficult. 恋は難しい。
・Love is effort and mistake. 愛は簡単に成功しないから。


●愛を考える
・愛とは正義であり正義とは希望であり希望とは夢であり夢とは愛である。全てはリンクしている。結局愛をつきつめていくと、全ての物を愛さざるを得なくなり、愛とは全てであり、すべての物・人・感情とは切り離せなくなる物だ。軍は人々の(自国の)暮らしを守るといっているが、そんなものは力を世界に見せつけたいがためのエゴであり、正義とは程遠い。
・愛については時間を気にせずに話し合いたい。愛をマジメに考えないのもその人の愛に対する答えだが、自分は死ぬまでロマンティストでありたい。
P.S. あまりアテにしないでくださいね。なんの根拠もないですし。

1/10/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その16):明日から3学期
 以下は3年前に母校の校内誌に寄稿したものです。読み返してみて、「硬直した自分」から脱皮したいと思う、3学期初日の前日です。

K先生のこと

丙午生まれの私たちは生徒数が極端に少なかったせいか教育制度の切り替え時期になっており、シニカルな私は「モルモット学年」と思っていた。「ゆとりの教育」で中学英語は週3時間で英語力が低下し、情けない限りだが、よかったことは高校入試で学校群制度が撤廃され、希望してF高校に入れたことだ。高校では新しい教科「理科?」「現代社会」が導入された。特に「現代社会」は倫理社会と政治経済が一緒くたになったような不思議な教科だったので、担当されたK先生も試行錯誤されていたように感じた。
哲学や宗教について学習するというのは、テレビっ子だった私やクラスメイトにはフレッシュな体験で、先生が発する「アッラー」「ヤッハウェ」という独特の響きはかなりのインパクトがあり、私のクラスでは「ヤハウェ」、他クラスでは「アッラー」があだ名になった。そしてなんと、7歳上の同じくF高校出身の兄によれば「ほとけのカワカン」と言われていたという。世界三大宗教をあだ名に持つとは…、さすがK先生だ。
教科書のなかに「愛」について考えるページがあって、日本の私たちは愛するという言葉がなかなか言えない、と先生は前振りした上で、教室を歩きながら「私はあなたを愛します」と連呼、「言えますか? はいっ」と生徒を二,三人、指名されたが、誰一人反応できなかった。「授業中にそんなこと、みんなの前で言えるか?」と疑問が湧いたが、そんなことにはおかまいなしの「K先生ワールド」がそこにはあった。
授業は高度な内容で、ときおり板書でキーワードを円でクルクル囲んだりされたので、正直なところ、生徒はどこをノートに取ってよいか分からず、悩んでいた。そこである日、怖いもの知らずの一人が「先生、ちゃんと書いてください」と言い放った。すると驚いたことに次の授業から詳しく板書してくださったのだ。一生徒の発言を真摯に受け止め、今までの授業スタイルを変えてくださった先生の姿勢が三〇代になった今、ずっしり響いてくる。指摘されても聞く耳持たない、硬直した自分が恥ずかしくなってしまう。
「アラーの他に神なし。マホメットはその使徒なり」をアラビア文字で右から左へとクネクネと書いたり、リルケの詩「秋」をドイツ語で板書したり…、その博識は生意気盛りの私たちの度肝を抜いた。アラビア語は当時、勉強されていたと伺った覚えがある。手持ちの知識を切り売りして、口に糊する教員が多い昨今、いつでも学徒(スチューデント)だったK先生。知識だけでなく、「学ぶ姿勢」を教えていただいたことを感謝している。
私が卒業した数年後に亡くなられた先生のご葬儀で、先生がキリスト者であり、お名前が「ゆたか」と読むことを知った。先生のことを何も知らなかった自分が恥ずかしかった。

1/13/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その17):前置詞のイメージをつかむ
 高1の授業でindependentという新出語が出てきた。
 「3学期は前置詞と句動詞Phrasal Verbs」と派生語に力点を置いています!」と宣言したルターは早速、板書をした。

 He is independent [ ] his parents.
  いる 形「独立して…」
 He is dependent [ ] his parents.
  いる 形「頼って…」

 それぞれにふさわしい前置詞を考えてもらった。
 ・「独立している」ということは彼と親との関係は離れている。
 つまり《分離のイメージ》のある前置詞が入る。
   off「離れて…」
   of ~
   out of ~
   from ~ 「~から」
 ・「頼っている」ということは彼と親との関係はくっついている。
 つまり《接触のイメージ》のある前置詞が入る。
   on ~「~に」「くっついて…」
 He is independent of his parents.
 He is dependent on his parents.
 というわけだが、今日の日記はいかにも神奈川新英研HPにふさわしい内容になった。満足、満足。

1/21/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その18):B4版のプリントを半分に折って学習する生徒たちに「断片化」を感じた
 高1で「比較」を見開きのプリントを用いて練習したときのことだ。左側に解説、右側に練習問題、といういわゆる「見開き」構成になっている。ルターは、平易なことはわざわざ練習問題形式にするまでもなく、表組みでまとめて、口頭練習してしまえ、と考えている。
 なんでも練習問題にするのが近年の英語教育を悪くしている。本当にばからしい! 
 in the worldとかin my familyなど、表組みで明示すれば済むことだとルターは思うよ。(くだらないことで時間を使わないで物語文を読もうよ!、というのがルターの考え)
 そこで、印刷前に左側に以下のように書き込んでおき、中学での既習事項を宿題にした。
  ofをつかうもの: of the three
            my classmates
            them all
            all the subjects

  inをつかうもの: in the world
           in our class

 ところがである。いざ授業で指名してみると、即答しないのだ。近づいてみると、どの生徒もB4版のプリントを半分に折っているではないか。練習問題のカッコ穴埋めの答えはすでに私が左側に書き込んであるのに。「ほら、左側に書いてあるでしょ?」と言うと、初めて気づいたかのようである。これが多数派なのにびっくりした。訊いてみると(プリントを開くと)「ごちゃごちゃしているから」とのことだった。
 ルターはびっくりした。左側が大切なのに、彼らは見ていないのだ。その日、ルターは「必ずプリントは開いて練習問題をするように!」と厳命した。

 英語の時間と言えば、バラバラになった英文を並べ換えたり、カッコの空いた不気味なプリントをこなすことだと思っているのではないだろうか? 英語の教員はよく考えて欲しいと思う。
 この人達は新聞や辞書を「面」で読めるのだろうか? そして人間をさまざまな側面からとらえられるのだろうか? いろいろなことが心配になってきた。

 大学時代のサークル、歴史研究会の顧問をされていたT教授が以前、学生たちを見て「彼らはフラグメント(断片)なんだな」とつぶやかれたのが思い出された。

 His days was fragmented by interruptions and phone calls. (L3)
 (彼の日常は途中で邪魔や電話が入ったりで断片化している)
 a rapidly changing and fragmented society (L3)
 (急激に変化し断片化している社会)

 まさに「断片化する」とはこういう事かと目の当たりにした感があった。

2/24/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その19):不定詞:ルターの発問にとまどう生徒たち
 高1の授業で不定詞を扱っている。He is said to be a good doctor.のような文を練習する前段階として、こんな発問をした。
 (1)彼は(ふだん)言っている
 (2)彼は(ふだん)言われている
 (3)彼は言った
 (4)彼は言われていた
 (5)彼は~らしい
 (6)彼は(今)住んでいるらしい
 (7)彼は(当時)住んでいたらしい
 (8)彼は(当時)住んでいたと言われている
 以上の日本語を板書し、それを書かせて「英語にしてみて」と指示した。ところが「彼は(ふだん)言っている、って何ですか? そんなこと、言われたことない!」とEくんが怒り始めた。手元を見ると「He is saying」と書いてある。そこで「He is sayingというのは、今その場で言っている、ということです。ふだん言っている、というのとは違いますよ」と教えた。「ますます、ワカンナイ!」とふくれているEくん。
 なぜこのような発問をしたかというと、He is saidを日本語にしてみて、と言うと「彼は言った」と言う生徒がかなりいるのだ。そして私の顔色を見て、合っていなさそうだとわかると「彼は言われた」と修正するのだ。それでも正解ではなさそうだと思うと「彼は言われている、ですか?」と答える。そして私が満足そうなのを見て、本人は「順番が済んだ」とばかりにそのまま流してしまう。このようなやりとりを数名の生徒が行っているという現状だ。「言った」と「言われた」では言っていることが大違いだ。そこをあいまいにしたまま進んではならないと思う。彼らにとってHe is saidでもHe was saidでも大差ない、という様子である。大違いであるぞ! みなさん。
 そこを恥ずかしげもなく、教師の顔色一つで言い換えるという学習態度は粉砕せねば! 
 (1)彼は(ふだん)言っている    He says
 (2)彼は(ふだん)言われている  He is said
 (3)彼は言った   He said
 (4)彼は言われていた  He was said
 (5)彼は~らしい   He seems
 (6)彼は(今)住んでいるらしい     He seems to live
 (7)彼は(当時)住んでいたらしい   He seems to have lived
 (8)彼は(当時)住んでいたと言われている   He is said to have lived

 まず、この部分ができなければ話にならない。並べ換え問題で生徒を試して、生徒が組みたてられるから理解したのだと教師が安心してしまうと、基本的な文の構造を組み立てられない生徒ばかりになってしまうよ。

3/9/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その20):幸運児ルター
 昨日はテスト返却日。採点基準の変更があって生徒たちが訂正を求めて教卓にやってきた。あれっ? 手元にある点数と答案の点数が違うぞ~という人がいた。危うし、ルター。なぜかコンピュータに入力した点数が古いものになっていたのだ。しかしこの幸運のおかげで救われたのだった。
 そして今朝は9時から10時まで山手線が止まってしまった。携帯電話を持たないルター、危うし。ところが幸運児ルターは時間割変更があって5時間目の授業が1時間目に移動になっており、8時には学校に到着していたのだった。
 この2つの幸運に遇して、ルターは気を引き締めてやっていこうと思っているところである。今日はビートルズの歌を4曲解説した。明日は1クラスが授業最終日。仲良くなってきたところなのに、さびしいな。


3/10/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その21):最後の授業+学校の授業で映画を観る意味
 明日まであると思っていたら、映画鑑賞で1時間なくなってしまい、今日が2クラスとも最後の授業になった。私のことを「親友」だと言っているNくんは美術の教科書(!)と英語のOxfordのサイドリーダー2冊(シャーロックホームズ+スポーツ)をプレゼントしてくれた。とても素敵な教科書でうれしかった。私が大学時代にイタリアで観てきた絵や彫像が載っていた。そして2クラスで授業の感想を書いてもらった。耳の痛い指摘も多かった。ルターは無意識で「私的には」と授業中に連呼していたらしく、それが耳障りだったらしい。やはり男の子は心優しいと感じたのは、Uくんがクラスの置かれた状況と私の授業を冷静に分析してくれたこと。有り難い指摘だった。生徒には教授者は授業をするが、教授者は自分の見えない姿を生徒に教えてもらえる。今日も服装にダメだしがあった。これからは指摘してもらえないので、自分で頑張らなくっちゃ。

 ところで今日はルターは高1の生徒に見せる映画の在り方に疑問を感じた。今日は『アイ・ロボット』(ウィル・スミス主演)だったが、前に座っていた生徒がかなり恐がっていた。私も「なぜこれをみんなで観るのか?」と疑問符が出てしまった。別の学校で高1と観た『シュレック』のときも「なぜこんなグロテスクな映画を観るの???」と違和感があった。みんなで映画を観るというのは「共通の経験」になるものだと思う。だからこそ心に残るものを見せたい。
 [非常勤講師のルター、専任に意見言えず仕舞い、残念!]

 しかしこれはかなり難しい問題なのかもしれない。感動する、と言われる映画の中にもやはりルターには許せない映画がある。『ペイ・フォワード(Pay It Forward)』という善行を行う少年の話があるが、ルターはこういうのは好かないのだ。アメリカ社会の様相をこれでもかという感じで描いたり、最後に殺される少年の死とその悲しみをみんなでshareしたりするシーンが「浪花節」っぽくなっていて、いやーな感じだった。他にも『Mr. Holland Orpus』という映画でも米国軍に入って戦死する人を賞讃するようなエピソードが刷りこまれていたり、主人公の音楽教師が最後に書く交響曲がアメリカ万歳的な内容だったり…。大学で心理学研究会に入っていたルターはそういうサブリミナル(潜在意識)に訴えるような映画は許せないのだ。
 アメリカのmaliceがしみこんでいる映画が近年は多すぎる。近年のディズニーのアニメやお正月に公開していた『Mr. Incredible』なんて絵が不気味だった。
 フランス映画や昔のアメリカ映画が好きなルター。時代に合ってないんだろうな。

3/13/05 ルター、学校へ行く(私立男子高編その22):教科会議+送別会
 昨日は教科会議。イギリス人のP先生が高1にOxfordのサードリーダー「Monkeyユs Paw」でintensive readingをしたと報告したとき、日本人教師が生徒に多読・速読は難しいのではないかと導入を躊躇しがちなのを暗に指して、「Donユt be afraid. Just the language.」(恐がることなんかないよ。言語だよ!)と言ったのが印象的だった。
 送別会は学校からすぐちかくのレストランで、おいしくふかした丸ごとジャガイモや鶏肉の鍋物(ローリエとお酒と塩コショウであっさり煮たもの)やデザート風のピザ(イチゴがのっていた!)や小さな温州ミカンなど、家庭的で食材を生かしたおいしい食事+ビール・ワインをいただきながら、電子オルガンで2人の先生が生演奏をしてくださったり、イギリス人P先生と彼女のJunkoさん、そしてカナダ人A先生とフィアンセのYukoさんが参加し、アツアツムードの中、主任のK先生(40歳)の結婚エピソードが披露されたり、たのしい会になった。どの先生方も家族を大切にされているご様子で、そういう幸せを足場にして授業されているのだなぁと感じた。この学校に勤めた6ヶ月のあいだで、「家庭」というものや自分の「生活」を大切にしていきたい、という気持にさせられた。
 どうもありがとうございました、生徒、教員のみなさん。

 ●門限(curfew)について:その酒席でcurfew(門限)のことが話題に出た。主任のK先生は奥様との間に門限があって「シンデレラボーイなのです」と話した。P先生は小学生の頃、門限を破るとgrounded(外出禁止にされ…)たのだと話してくれた。そしてA先生にHave you ever been grounded?と訊ねていた。こういう身近なこと、話せるようになるとたのしいね。



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